Chris & Kellie の日本渡航記:自分の回想を織り交ぜて



まだまだ書きたいことは山ほどありますが、とりあえずこのあたりで・・・笑

マダムとレディが初来日

2006年2月6日、僕の睡眠時間は約1時間、朝の6時半頃家を出発し、成田空港へと向かった。僕のお世話になったホストファミリーの母の姉さんクリスとその娘ケリーが日本に到着したのであった!!ケリーは真っ先に僕に気づいてくれた。僕はいきなり出遅れた。ようこそ、日本へ!Welcome to Japan!

度胆を抜かれたluggage

彼らが持ってきた荷物が半端じゃないほど大きく、重かった。ありゃすごい。たしかにBring many warm clothingsとメールでは言っておいたけど、あれほど徹底してくるとは! 今となっては、あの荷物もいろんな意味でいい思い出です。Set free from this luggage!はうけた。

TOKYO & Disneyland

最初の3日間は東京を見物。といっても2日目ディズニーに直行した!恐いのは乗らなかったけど、いっぱいいろいろ周ったなぁ、そして回った・・・。 This is for Chris と言って、プーさんやメリーゴーランドにも乗ったなぁ。ジャングル・クルーズの案内役の人の駄洒落ガイドを聞かせてやりたかったのに。 マーク・トウェイン号は寒かったけど、いい船旅だったわね、ケリーちゃんよ。 新宿ではウェンディーズ(なんじゃそりゃ)。オージービーフのウェンディーズ。 都庁連れていく。そのあたりを歩く。あ、兵庫に帰らなければ!そして東京駅にカムバックアゲイン。あぁ、荷物が重い! 実はこの日、僕は新宿に向かう前に自分のカバンを電車の中に置き忘れるという失態を・・・。その日の帰り、夜に見つかったとの知らせを受けreally lucky! 僕はこのとき、最初のオーストラリアに行ったときのフェアウェルパーティの前にスパイクを無くしたことを思い出した。クリスに言ってみると覚えてくれてました。あの時は車の中でママさんがBe found! と言ってくれたのを僕も思い出しました。

一撃マック

当初僕の部屋に泊まる予定だったので、成田からまずうちの最寄の駅に来てもらった(結局ホテルに泊まった)。うちの駅内にはマクドナルドがあるのだが、駅の改札を出た瞬間、それを察知した彼らは何か買おうと言い出した。こうして日本の食事はまずマクドナルドでマクを開けたわけである笑。上記のウェンディーズ、そしてディズニーでのチップス。東京では野放しにしつつ、これからの日本の食事について僕は不安になりつつありました笑。
とはいえケリーちゃんは本当はマックにはあんまり行かない。後日京都のSubway を発見したとき、ケリーはマックよりもサブウェイでよく食べることが判明したが、五十歩百歩じゃないかね、ケリーちゃん。
ちなみに最終日の成田ではジャスコの中でマクドナルドを食べました。クリスは「最初はマクダノー、最後もマクダノーだったわね」と総括したのだった。


Cold! Freezing!

たしかに寒かった。一番寒いときにやってきたのではないか。 オーストラリアでは寒い季節でも、日本のような寒気に覆われることはないようで、これはさすがに大ダメージを与えたようだった。とくにケリーちゃん。いつも最高気温と最低気温の論争が繰り広げられた。 ディズニーの日、僕はニュースで最高気温を16℃と確認したが、結局9度くらいで、寒すぎた。その後クリスは「Hirokiは16℃って言ったのよ」と繰り返しつついてきた。それが面白かった。

また階段かね, Hiroki

たくさんの電車の乗り換え、そして階段にさすがに疲れたようで、my knee が・・・という場面も。こんな忙しい街に付き合ってくれたありがとう。ちなみにクリスはいつも万歩計を身に着けており、最高記録はたしか初日の20000歩あたりだったと思います。

新幹線・富士山

新幹線はBullet Train という名で有名のようで、僕は二回目にオーストラリアに行ったとき、ワルーナに向かう途中モーガンがBullet と指で弾を示しながら話してくれたことを思い出した。 そして富士山。左側の席に座っていたので、右側に見える富士山をよく見たいとおもっていると、右側に座っていた男性が親切にも譲ろうとしてくれました。クリスは右側の座席へ移動。そこでケリーちゃんは「He is her boyfriend」 と僕に投げかけた。僕は親身になって受け止めた。なんのこっちゃ。 その男性は名古屋で降りられましたが、その際にHave a nice day!と言ってくれたのが今でも心に残っています。いい人でした。ありがとうございます。

いよいよ彼らがやってきた!

それは現実に起こったが、友人と「これははたして現実か」と半信半疑の状態であったことを告白せねばなるまい。This is real。彼らは僕らの地元に足を踏み入れた。目の前にはこたつに入って、ライスを食べる彼らがいました。こりゃホントにすごいわ。

日本を巡る

クリスとケリーには行き帰りなどで疲れさせてしまったことだろう。その分多くの場所を訪れることができた。
黄色い線が九州から伸びていますが、これは彼らに会いに九州から来た人がいたということです。その人はクリスとケリーが最初に受け入れた女性で、赤ちゃんを連れてはるばる九州から会いに来てくれました。日帰りでしたが、楽しいひと時を過ごせました。ミニ卓球でも燃えた。ケリーちゃんは強かった。


We were packed like sardine!

ユニヴァーサル・スタジオの帰りに電車がひどく込み合い、途中で押し倒されそうになった。実際に僕は押し倒され、座っている人にぶつかりそうになった。日本のこの狂乱的満員電車を味わってもらいたかったのだが、このギュウギュウ詰めな空間と鰯の缶詰発言とがマッチしたのか、満員電車の中、われわれはただ爆笑していた。

ショッピング

ダイソーを中心とする100円ショップによく買い物にいった。100均。オーストラリアでは2$ショップにあたる。僕も向こうで買い物をしたことを思い出した。しかし買うわ買うわ。100円ショップが相当お気に召したようです。
ケリーちゃんはブーツを三足買いました。オーストラリアよりcheaper だからって!本当にそうか、いやそうなんだろう。
この着物いくらかな、28万。expensive!

ホストファミリーとの電話

僕の家にステイされたときに、ホストファミリーと電話で話すことができた。「二人の面倒みなくちゃならないから大変でしょう」と言われ、「いやいや、楽しんでます」と答えた。父ナイジョルはいろんな「僕が好きだったオーストラリアの食べ物がなくて寂しいだろう」と言いつつ「You don't miss vegemite」と素晴らしいオチを与えてくれた。 その後、クリスは「デビーは最初Hirokiをネルソンだと思ったようだったわよ」と言ってくれた。モーガンの兄はよくふざけて誰かになりすまして電話をするらしい。僕は成長したわ笑。


多くの再会

学校で先生方との再会、また僕らよりももっと前に行かれた方との再会。今回の来日に再会がなくして何があるだろう。自分が彼らと再び会うことというのも嬉しいけど、再会を目にするというのもまた感動的だった。連絡をとっていなかった人たちもいたと思うけど、これがきっかけでまた”つながった”。その際に重要なのは言語ではないと感じた。ケリーは「英語がしゃべれたらよかった」と言った子に対して、「そんなことないよ」と話していた。

最後の3日間

三重から東京へ向かう途中、名古屋で合流した。親友との別れ、涙は瞬間的に溢れ出てきたようであった。
東京に着き、3人で成田に一泊した。ガーデンホテル。とてもいいホテルだった。この夜、ワルーナから少し南に行ったところにあるハーヴィの日本人教師をしていた友人と再会した。夕食に誘っていただき、ブフェと会話を楽しんだ。ありがとうございました。あのままガーデンホテルに歩いて行かなくてよかったです笑。

翌日はお別れの日。 荷物の重さはいくらだったと思う?と聞かれ、「減ってるはずだから35キロあたりじゃないか」と答えると40キロを実は超えていた。なんで持ってきたときよりも・・・それも40って・・・ジャムをプレゼントして軽くなったはずなのに。
一方で最後の最後で”日本人女性の歩き方”論争が勃発した。空港では椅子に座っていたので人間観察をしていたのだ。以前も電車の中で不思議に思っていたらしいという。どうして内股で歩く人が多いのか?ある一定の解答にたどりついたが、そういう女性はspoiled な環境に育ったのだという突飛な結論に及んだ。おそらく笑。

そんなこんなで別れのとき。またオーストラリアで。うん、ぜひ今度は行きます。
こうして彼らは、日本からオーストラリアへの架け橋を渡って飛び立った。


そして今

初めてオーストラリアから帰ってきた数日間、虚無感に襲われた。彼らが三重県に行ってから、あの気持ち、あの感覚が再び甦ったような気がした。いないのが不思議だった。 そして今本当に思うことは、出会いの素晴らしさである。この人たちと出会えたことの喜び。そして2001年から今までずっとつながっているというこの素晴らしさ。

最後に今回いろいろとお世話になった人たちに感謝の気持ちをささげるとともに、これからもオーストラリアを通じて今を刻んでいきましょう。